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独島は日本による韓半島侵奪の最初の犠牲の地

洪在現陳述書 (1947年)、
「独島問題諸概論」 (1955年)

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洪在現陳述書

洪在現陳述書 (1947年)、
「独島問題諸概論」 (1955年)

[訳文]

陳述書

陋屋にご足労いただいて鬱陵島の属島に関する認識をお尋ねになったことに対し、以下のように陳述。

一. 私は今から60年前、江原道江陵から移住して現在まで本島に居住している洪在現です。年齢は85歳です。
一. 独島が欝陵島の属島であることは、本島の開拓当時から島民が周知している事実です。
一. 私も当時、金量涃と裴秀倹同志たちと一緒に、今から45年前から4、5回ほどわかめの採取、アシカの捕獲をするために往復したことがあります。
一. 最後に行った時には、日本人の本船を借りて、船主である村上という人と大上という船員を雇い、一緒に捕獲をしたこともあります。
一. 独島は、天気清明な日であれば本島からはっきりと眺望することができ、また本島の東海において漂流する漁船は、昔から独島に漂着することがしばしばあった関係から、独島に対する島民の関心は深いものがあります。
一. 光武10年(1906)に日本の隠岐島司の一行10余人が本島に来て、独島を日本の所有だと無理な主張をした事実は、私も知っています。
一. 当時、郡守の沈興沢氏は隠岐島司一行の無理な主張に対して反駁、抗議すると共に、不当な日本人の脅威を排除するため、当時の郷長の田在恒ほか事情を知っている多数の人たちと相談し、上府に報告したということは、私が当時聞いた事実です。
一. 私は当時、郷長の田在恒氏と交誼があり、また役所にしばしば出入りしていた関係から、本島の重要な案件であることを全部知っていました。
一. 日本人の隠岐島司の一行が独島を日本の所有だと主張したという伝聞を聞いた当時、島民、特に漁業者は大いに憤慨していました。
一. 当時、郡守が上府に報告はしましたが、日本の勢力が我が国を威圧していた当時の状況により、いかなる快報も聞くことができないまま合併されてしまったことは、痛憤すべきことでした。

西紀1947年8月20日

欝陵島南面沙洞170番地
洪在現 印

[原文]

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