竹島, 独岛, 獨島 | MOFA Republic of Korea

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独島に関する一問一答

1906年、鬱島(鬱陵島)郡守・沈興澤が独島に関して報告した内容はどのようなものですか。

1906年3月28日、鬱島(鬱陵島)郡守の沈興澤は鬱陵島を訪問した島根県の視察団から日本が独島を自国領土に編入したということを聞き、翌日江原道の観察使などにこのことを報告しました。

沈興澤郡守の報告を受けた江原道の観察使署理・春川郡守の李明来は、4月29日にこのことを当時の最高行政機関である議政府に伝えました。

「報告書号外」

「報告書号外」

鬱島郡守沈興澤の報告書に、本郡(鬱島郡)所属の独島が外洋の100里あまり離れた場所にありますが、3月28日午前7~9時頃、1隻の船が鬱島郡の浦にきて停泊し、日本の官吏一行が郡庁を訪れ自ら曰く、「独島が今や日本の領地になった故、視察にやってきた」とし…まず、戸数、人口、土地、生産量について聞き、次に人員や経費がどれくらいかを聞いて諸般の事務を調査するとして記録して去ったので、これに報告しますので、状況をお尋ねになったためこのように報告する旨、ご検討されますようお願い申し上げます。


原文

欝島郡守 沈興澤報告書內開에 本郡所屬獨島가 在於外洋百餘里 外 이삽더니 本月 初四日 辰時量에 輪船一雙이 來泊于郡內道洞浦 而日本官人 一行에 到于官舍하야 自云 獨島가 今爲日本領地 故로 視察次 來到이다 이온바... 先問戶總 ∙ 人口 ∙ 土地 ∙ 生産 多少하고 且問 人員 及經費 幾許 諸般事務을 以調査樣으로 錄去이압기 玆에 報告하오니 照亮하시믈 伏望等 因으로 准此 報告하오니 照亮하시믈 伏望

この報告に対して議政府は、同年5月10日次の指示を出します(指令第3号)。

「指令第3号」

「指令第3号」

来た報告はすべて読んだ。独島が(日本)領土になったとの説は全く根拠がなく、島の状況と日本人がどのように行動したかを再び調査報告する事


原文

來報난 閱悉이고 獨島領地之說은 全屬無根하니 該島 形便과 日人 如何 行動을 更爲査報할

このことから、1906年鬱島(鬱陵島)郡守が1900年に頒布された「勅令第41号」の規定に基づいて、独島を引き継き管轄していたことが分かります。

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