竹島, 独岛, 獨島 | MOFA Republic of Korea

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独島に関する一問一答

独島と関連して、安龍福の活動にはどのような意味がありますか。

安龍福は朝鮮王朝第19代国王・粛宗時代(1661~1720)の人物で、1693年鬱陵島で日本人に拉致されるなどして2度にわたり渡日しました。
1693年の安龍福拉致事件は朝日間で鬱陵島の領有権をめぐる紛争(鬱陵島争界=竹島一件)が起こるきっかけになり、その交渉過程で鬱陵島と独島の所属が明らかになったことに意味があります。

1696年の安龍福の2度目の渡日と関連して『粛宗実録』は、安龍福が鬱陵島で遭遇した日本の漁民に「松島は子山島(独島)であり、朝鮮の領土である」といい、日本に渡って朝鮮領である鬱陵島と独島への日本の侵犯に対して抗議したと供述したことを記録しています。

「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻の覚書」

「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻の覚書」

この道(江原道)の中に竹島(鬱陵島)と松島(独島)がある。


原文

此道中 竹嶋松嶋有之

安龍福の渡日については、韓国の史料だけではなく、『竹嶋紀事』、『竹嶋渡海由来記抜書控』、『因府年表』、『竹島考』など日本側の資料も伝えています。

特に、2005年に日本で新たに発見された「元禄九丙子年朝鮮舟着岸一巻の覚書」(1696年安龍福が隠岐島に到着した際、隠岐島での取調べを記録した文書)は、安龍福が竹島(鬱陵島)と松島(独島)が江原道に付属すると述べたと記し、『粛宗実録』の記述を裏付けています。

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