独島に関する最も古い日本の記録の一つである『隠州視聴合記』(1667年)は、出雲松江藩士・斉藤豊宣が著わした書物で、独島について次のように記しています。
この二島(鬱陵島、独島)は無人の地で、高麗を見るのが、恰も雲州(出雲)から隠州(隠岐島)を望むが如くである。然らば即ち、日本の西北部は此の州(隠岐島)を以って限界とする。
此二島 無人之地 見高麗 如雲州望隠州 然則日本之乾地 以此州為限矣.
こうした記述から、日本の西北側の境界は隠岐島であり、独島は日本の領土外であることが分かります。