韓国の多くの官撰文献に見える独島の記録からも、韓国が昔から独島を自国の領土として認識して治めてきた事実が わかります。
韓国の官撰文献に残っている独島の代表的な記録は次の通りです。
于山と武陵の二島が県の真東の海の中に在る。
二島は互いに遠く離れておらず、天気の良い日には眺めることができる。
新羅の時代には、于山国または鬱陵島と称した。
于山武陵二島在縣正東海中
二島相去不遠 風日淸明 則可望見 新羅時 稱于山國 一云鬱陵島
于山島・鬱陵島
二島、その一つが即ち于山。
輿地志に云う、鬱陵と于山はみな于山国の地。
于山は倭の所謂松島なり。
于山島 鬱陵島
二島一即于山
輿地志云 鬱陵于山皆于山國地
于山即倭所謂松島也
鬱陵島が蔚珍の真東の海の中に在る。
輿地志に云う、鬱陵と于山はみな于山国の地。
于山は倭の所謂松島なり。
鬱陵島 在蔚珍正東海中
輿地志云 鬱陵于山皆于山國地
于山即倭所謂松島也