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独島は日本による韓半島侵奪の最初の犠牲の地

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漢城日報

鬱陵島学術調査隊報告記 (2) 洪鍾仁, 「漢城日報」 (1947年9月24日)

〔訳文〕

「鬱陵島学術調査隊報告記」 (2) 洪鍾仁

  日程に入り、我々は予想以上に万事が順調に進んだことを何よりの大きな収穫だと思う。第一に、天候が極めて平穏で快晴であったのは、全隊員の情熱あふれる学究的態度に対して天がほどこしてくれた有難い恩寵だといえる。船便は統衛部・海岸警備隊の積極的な支援のおかげで、警備船「大田号」を提供され、全隊員と膨大な貨物を容易に輸送することができたことに対し、我々は心より感謝の意を表する次第である。
  元来この様な事業は、ある程度国家や公共団体の協力なくしては難しいのが常だが、 今回は特に海岸警備隊の全面的協力が隊員の全ての行動において絶対的な力となった。そして、鬱陵島のほとんどの島民が動員されたといえるほど、島内の宿所など各▣において甚大な協力があったからこそ、我々の日程を最後まで順調に進めることができた。島の人々の純朴な人情と島司以下指導層の心づくしの歓待に対する我々の感激を忘れることはできないであろう。日程▣▣は以下の通りである。
▶8月16日 午前講演▣班先発隊として出発、午後本隊出発
▶8月17日 大邱経由、慶北教育協会主催による師範大学における講演会開催、午後浦項に全員集合
▶8月18日 午前7時浦項出発、午後6時鬱陵島・道洞到着
▶8月19日 休息、午後慰問品伝達、▣▣▣開催、夜間歓談会▣席
▶8月20日 午前5時10分独島に向け出発、午前9時40分到着、午後8時頃苧洞到着
▶8月21日 ▣▣班を除く全員を▣隊に編成、島内最高峰の聖人峰983.6メートルからA班は東南へ下山し、
        南陽洞からB班は東北へ下山し羅里洞において宿泊
▶8月22日 A班南陽洞出発、台霞で宿泊、B班羅里洞出発、天府洞経由で玄圃にて宿泊
▶8月23日 A班台霞出発、玄圃を経て天府洞にて宿泊、B班玄圃出発、台霞を経て南陽洞にて宿泊
▶8月24日 午後全員苧洞に集合。
▶医学班はその間、苧洞にて2日間、天府洞にて2日間、羅里洞にて1日間施療、調査を終えて聖人峰登頂後に苧洞へ到着
▶8月25日 休息▣理、午前より于山中学校にて特別講演会
▶8月26日 午前9時30分苧洞出発、午後10時30分浦項到着後に宿泊
▶8月27日 午前・午後にわけて浦項出発、大邱経由
▶8月28日 午前本隊ソウル到着
  島滞在中には宿所の提供(▣分の▣料と謝▣を条件に)を受けること。その他一切は、本隊が自前で負担することを原則とした。食料が元々不足する地域であるうえ、本土との交通の関係から一般物資も困窮であるため、食料はもとより諸般の所要品は、島内の生産品として本土へ▣出するもの以外は一切▣▣行為を禁じることにした。

〔原文〕

Original Text